日常的に行うのに適したストレッチングとは?
日米のプロ野球で通算4,367安打を記録したイチロー氏は、試合中に「肩入れ・股割り」という独特のストレッチングを行っていました。両足をハの字型に開き、力士が四股を踏むように腰を落とし、両手を膝に乗せて、上体だけねじって右肩と左肩を交互に突き出すというもので、肩関節と股関節の可動域を広げるためには効果的な方法だと思われます。
アスリートたちが試合前にストレッチングを行うのは、よく目にする光景ですが、実はやり方によっては筋力低下を招く恐れがあることが示されています。スタティックストレッチング(筋肉を一定の方向にじんわりと伸ばす静的ストレッチング)が、筋力(筋肉が発揮できる力の大きさ)と筋パワー(瞬発的な力を発揮する能力)に及ぼす影響を調べた42の論文(調査対象総計1,606人)をレビューした報告1)では、全論文の6割以上でストレッチングによる筋力の低下が認められました。これらの論文で報告された筋力の低下率は平均-6.9%ですが、-19.1%という大きな値を示した論文もみられます。
このような筋力の低下をもたらす重要なポイントの1つは、「時間」です。スタティックストレッチングの時間が45秒以下ではほとんど筋力を低下させないのに対し、46~89秒では-5.6%、90秒以上では-6.1%と低下率が増加しました。
また、スタティックストレッチングの影響は、その後に実施する運動の種類によっても違いがみられます。短距離走やランニングではパフォーマンスの低下がみられたとする論文が少ない一方、ジャンプ高が低下したとする論文は多いことが示されています。このことから、速い動きや爆発的な動きが必要で、少しのパフォーマンスの低下が問題となる状況では、スタティックストレッチングの実施には注意が必要だといえます。
こうしたストレッチングに関する研究の積み重ねにより、運動後のクールダウンや就寝前のリラックスに適しているのはスタティックストレッチングであり、運動前や試合前のウォームアップに適しているのは、ダイナミックストレッチング(主に往復運動で筋肉を縮めたり伸ばしたりしながら行う動的ストレッチング)だとされています。イチロー氏の「肩入れ・股割り」は、自身に適したダイナミックストレッチングとして採用していたと思われます。
一般の人、特に中高年者が日常的にストレッチングを行う場合は、スタティックストレッチングが基本となります。日本医師会編の『ロコモティブシンドロームのすべて』(診断と治療社)では、「下肢後面(太腿の裏側、ふくらはぎ)や殿筋(お尻の筋肉)のストレッチング」「肩のストレッチング」「開脚ストレッチング」の3つをすすめています。また、厚生労働省のホームページでは、「移動動作能力の維持増進のための運動」として、10の運動を紹介しています2)。転んだりした場合など、急激に体に負荷がかかると、筋や腱、関節に障害が起こりやすくなるため、日頃から筋力を鍛えるとともに、関節可動域を最大限に広げておくことが望ましいと考えられます。
1)Behm DG, Chaouachi A: Eur J Appl Physiol 2011; 111: 2633-2651
2)https://www.mhlw.go.jp/www1/topics/kenko21_11/b2.html