監修
東京大学大学院医学系研究科 社会医学専攻医療情報学分野教
大江 和彦 氏
電子処方箋が開始となる2023年。これまで電子カルテなどの導入により処方情報を初めとする診療情報の電子化が進められてきましたが、医療の各種データの共有や活用方法についてはまだ課題が多いのが実情です。DXが推進されている現在、医療機関同士の連携や患者自身によるデータ管理など、臨床や日常の場面でより利便性の高いデータの情報共有と活用が望まれます。東京大学大学院医学系研究科社会医学専攻医療情報学分野教授の大江和彦氏に、日本における医療データの利活用の現状と将来に向けての取り組みについてお話しいただきました。
電子カルテ導入率は6割程度
小規模医療機関での導入が課題
厚生労働省の医療施設調査によると、電子カルテシステムの導入率は一般病院では57%であり、大学病院や地域の基幹病院など病床数400床以上の病院では導入率が91%と高くなっています(表1)。一方、令和2年の厚生労働省の統計では一般病院が7,179施設で、そのうちの約73%が200床未満の病院ですが、これら200床未満の病院や一般診療所での電子カルテシステム導入率は50%未満と高くありません(表1)。
日常診療の現場では、大規模な病院から小規模な病院へ患者さんが転院する場合、転院先の電子化の状況が不明であることも多いため、紙ベースの紹介状や画像診断検査の結果が記録されたCDやDVDなどを患者さんに持たせる傾向にあります。
病床数200床未満の病院では、デジタル化よりも医療設備などへの投資を優先することもあるため、医療DXの推進には、小規模な病院のデジタル化を財政面でもサポートする必要があります。アメリカでは、オバマ大統領在任中に施行されたHITEC法(HealthInformationTechnologyforEconomicandClinicalHealthAct)により、所定の要件を満たした医療機関に電子カルテ導入の財政的支援などを行ったことから、およそ10年で電子カルテ導入率は全病院平均で90%以上を達成しています。予算規模はアメリカより小さいものの、日本でも同様の取り組みが進められようとしています。
オンライン資格確認ネットワークで
過去のデータの閲覧も容易に
最近開始されたオンライン資格確認ネットワークでは、健康保険証またはマイナンバーカード(顔認証または暗証番号入力)による認証で保険資格が確認でき、患者さんの同意があれば、過去に受診した医療機関や利用した調剤薬局、処方された薬剤情報などの記録を参照することができます(表2)。マイナンバーカードを利用している患者さんは、マイナポータルから表3のような情報をご自身で見ることもできます。
運用が開始されてから一年未満であることからまだ認知度が低く、当院での利用率も1%程度と推測されます。情報漏洩などの観点から患者さんの個人認証技術などについては厳密な運用が必要ですが、今後、サービスに関する認知度の向上や活用が必要となるでしょう。
マイナンバーカードと健康保険証の一体化については不賛成の意見もありますが、任意での利用とした場合には、個人ごと、医療機関ごとに利用、非利用が混在してしまうため、結果として手続きに時間がかかってしまうこともあります。一元化することで手続きもよりスムーズになりますから、リスクを恐れて現状を維持するのか、リスクを認識しながらも利便性を享受するのか、最終的に国民がどちらを望むかが今後の展開を左右するでしょう。
正確な情報伝達、健康意識の向上
医療情報の一元化の意義
PersonalHealthRecord(PHR)などによる医療情報の一元化は、個人が何らかの疾病に罹患した場合、これまでにほかの医療機関でどのような検査、治療を受けていたのかという情報が受診した医療機関の医療従事者に正確に伝わることが一番大きなメリットだと考えています。正確な情報伝達によって、適切な医療の実施が可能となります。
また、健康な人でも例えば年1回の健康診断の結果などを疾病に罹患したときの情報とあわせて保管することができます。健康情報を自分自身の一部として扱うことにより健康意識が高まるといった副次的な効果もあると思います。
介護の現場でも、家庭や介護施設などで介護を受けている方が一時的に医療機関を受診するケースなどもありますから、家庭、介護施設、医療機関で、介護内容や医療処置に関する情報共有ができるというメリットもあるでしょう。
ポリファーマシーや不要な処方で生じる問題も回避
医療機関の初診時または入院時におくすり手帳の管理をされていない患者さんも多く、普段どのようなお薬を服用しているかなどを患者さんの記憶に頼ってしまうとかなり不正確なこともあります。ですから、オンライン資格確認のネットワーク上で処方情報を共有することで、確実な情報共有が可能になるのです。
オンライン資格確認のネットワークにおいて、調剤薬局での処方履歴に同種同効薬が含まれている場合には、それが分かるように表示されるシステムとなっており、医療者が不要な薬を処方してしまうことも防げます。特に高齢者では、ポリファーマシーとしてふらつき、眠気、便秘などの症状を呈することがありますので、他の医療機関での処方薬が分かるシステムがあることは重要です。
円滑なコミュニケーションから信頼される薬剤師に
これまでは患者さんの曖昧な記憶に依存していた過去の医療情報をオンラインで確認できれば、医療従事者と患者さんのコミュニケーションのトラブルも減り、相互理解が高まるものと考えられます。
薬剤の処方においては、複数の医療機関で同じ薬が処方されてしまった際に、医師に対して「同じ薬はいりません」と患者側からは言い出しにくいこともあり、重複している処方薬を実際には患者さんが服用していないこともあります。そうしたケースでは、医療従事者側がオンラインで処方内容を確認し、患者さんから申し出てもらうよう促すこともできますし、またすでに処方されている薬は処方しないようにするといった対応もできます。
また、薬剤師も治療内容や処方内容を閲覧することができますので、業務における判断や患者さんとのコミュニケーションの材料が増え、結果として患者さんからも「この人は私のことを分かってくれている薬剤師さんだ」という印象が芽生え、信頼関係が高まるといった効果が期待されます。
国民皆保険制度ならではの価値あるデータベースの二次利用
個人情報保護法などの観点から、医療データを一元化できたからといってすぐに二次利用が可能となるわけではありません。そのため、法制度などの整備、利用範囲の指定や同意など、制度面でも現状から進化させる必要があります。
レセプト請求の形態は、2022年8月時点で400床以上の病院、調剤薬局などでおよそ98%がオンラインとなっています。レセプト情報・特定健診等情報データベース(NDB)には、医療機関でのレセプト、調剤および特定健診の情報が匿名化されて格納されており(図1)、二次利用が可能になっています。日本の医療制度は国民皆保険制度であり、美容整形や正常分娩など一部のデータを除けばほとんどの医療行為が保険診療ですから、非常に価値のあるデータベースだと言えます。
研究計画を提出して厚生労働省の審査を通過すると、およそ半年後にDVDなどでこのデータを受け取ることができます。学会などでは、特定の医療を受けている患者数の算出などにも使用されています。手続きの煩雑さや入手までに時間を要することもありますが、調剤レセプトのデータは、薬学系の学会などでも活用の余地があると思います。
また、特定健診を受診して医療機関への受診を勧められた患者のうち、実際に医療機関を受診した患者の割合なども調べることができます。健診後の受診状況が良好な医療機関か否かで補助金を変更するなど政策面でも活用されています。また、医療と介護のレセプトを統合し、どのような治療が行われ、その治療成績がどのような介護状況につながっているかなどを解析できるようにするための環境整備に対する意識も高まってきています。
データ解析事業が進展するなか緊急時のシステム運用の課題も
国の事業として構築されたデータベースシステムにMID-NET®(MedicalInformationDatabaseNetwork)があります。全国10拠点20病院以上に医療情報データベースシステム、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)に情報分析システムが設置され、2021年時点で570万人超のデータが利用可能となっています。市販後の医薬品の副作用などのリアルワールドデータを、医療関係者からの報告に依存せずに直接把握し解析します。レセプト、DPC、電子カルテ、検体検査のデータが集積されていることから、検査結果などから疾患の重症度も分かりますし、重症度別の転帰なども解析できます。
そのほかに学会などが関与するものとして、国立研究開発法人国立国際医療研究センターと日本糖尿病学会が共同で実施しているJ-DREAMS(診療録直結型全国糖尿病データベース事業)、日本腎臓学会のJ-CKD-DB(我が国における慢性腎臓病患者に関する臨床効果情報の包括的データベースの構築に関する研究)などがあります。
また、新型コロナウイルス感染症の流行に際しては専用のシステムとしてHER-SYS(ハーシス)が構築されましたが、保険診療ではないためレセプトが発行されない、専用画面への入力の手間がかかる、医療従事者にしか分からない入力項目のため事務職員がサポートできない、といった課題も見つかりました。今回の反省をもとに、徐々に改善していくと思われます。
未来のシステム構築は患者さんによるデータ管理も見据えて
現在の電子カルテシステムは、これまでの紙のカルテをIT技術により電子化したものであり、患者さんとのデータ共有を想定としたものではありません。使い勝手が悪い面も多々あるものの、普及率が向上してきたことから、現在のシステムを連携することで運用されている側面もあります。
各地域の医療ネットワークは、患者の自主参加型で医療機関によっても加入非加入があることから、普及率は地域によって異なります。
また、現行の法制度では、医療機関の管理者が最後の診療から5年間、診療記録を保管することとされており、5年経過するとカルテが廃棄されている可能性もあります。例えば、ある薬剤による副作用が相当後になって判明したときには、患者さんがその薬剤を使用したかの記録が存在していないこともあります。また、IT化が進んでも、紙ベースのカルテを想定した法律を順守しようとするためにさまざまな煩雑さも生じています。
その一方、医療データは患者さん自身でも管理するものだということを前提にシステムを設計するという考え方があります。統一された場所にデータを保管して使用すれば、システムを連携する、紹介状などのデータのやりとりをする、といった概念そのものが不要になります。私が会長を務める一般社団法人NeXEHRS(ネクサーズ)では、表4に示すコンセプトをもとに2019年9月発足に発足し、10年後、20年後を見据えたときに、どのようなシステムや電子カルテが必要なのかを想定し、病院や70を超える企業や団体が参画して実験や検証を進めています。
情報の持つ価値を知る教育や理解促進のためのアクションを
今後は、集積された医療情報からどのようなことが導き出せるのか、そして導き出された内容は新たな治療方針や医療の構築にどのように活かせるのかを体験でき、「情報が持つ価値」を重視できるような教育が必要だと思います。
データの利活用については、なんとなく怖い、億劫だと思われがちであるため、全体の技術や仕組み、どのように安全が担保されているかなどを、サービスを提供する側が例え話なども交えてより分かりやすく説明する必要があります。そして、ここぞというときの便利さを実感できるようなアプリケーションも必要になるでしょう。サービスの受け手も、不安だけに目を向けるのではなく、利便性やサービスの質の向上のための取り組みであることを理解して柔軟な姿勢を持つことも大切です。
データに基づいた意思決定と地道なコミュニケーションの継続が要
欧米ではエビデンスをベースに思考する国民性があり、統計学的データ解析から有効な政策を導き出して実行する傾向にあるように思います。一方、日本では、データの蓄積や解析を行いそれにもとづいた意思決定をするという意識が希薄に感じています。
医療現場でも、医師の個人的な経験に頼って診療が行われているケースも多いですが、医師だけでなく薬剤師さんも、日々の業務ではデータに基づき目の前の患者さんの医療を考えることが大切です。そのためには、処方箋だけではなく他の医療機関で何が処方されたか、病歴や治療歴、検査データなどをよく見て、薬が処方されている背景を知った上で患者さんへの説明をすることも必要だと考えます。また、マイナポータルを利用することで、複数の薬局で処方された内容も確認できますし、処方が多すぎる場合には薬剤師から患者さんへの助言などもできますから、医療の専門職として患者さんへの利用促進といった地道な働きかけを継続していただくことが今後の医療を変革していく鍵にもなるでしょう。
大江 和彦 氏 プロフィール
1959年大阪生まれ、1984年東京大学医学部医学科卒業。東大病院外科系研修医、新潟県佐渡の佐和田病院で勤務医。その後、東大病院中央医療情報部助手、講師、助教授を経て1997年より現職。これまでに東大病院副院長、東大総長補佐、医学図書館長などを歴任。社会活動として、日本医療情報学会前学会長、厚生労働省保健医療情報標準化会議議長、次世代電子カルテを研究開発するネクサーズ産学コンソーシアムの代表理事など。