現象を“過小評価”する認知の歪みは、たやすく起こる

2003年2月に韓国東南部の大邱(テグ)広域市で発生した地下鉄車両に対する放火事件では、乗客など192人が死亡し、148人が負傷する大惨事となりました。死亡者が多かったのは、犯人が放火した車両ではなく、火災発生から3分後に入線した対向列車でした。この対向列車内で撮影された写真では、煙が充満しているにもかかわらず、人々は座席に座ったままの姿が写し出されていました。彼らはどうして危険から身を避ける行動を起こさなかったのでしょうか。

私たちは、宝くじや馬券の購入動機でみられるように、客観確率(多数回の試行の中で起こる比率)の小さな現象を主観的に過大に評価する傾向があり、逆に交通事故のような現象に対しては、客観確率よりそれを過小に評価する傾向も持っています1)。このような認知のバイアス(偏り、歪み)は、リスクを回避するうえで、メリットとデメリットの両方の役割を果たしています。そして、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう認知の歪みは「正常性バイアス(normalcy bias)」と呼ばれ、冒頭に紹介した大邱地下鉄放火事件では、この心理が働いたものと考えられます。

災害心理学者の広瀬弘忠氏(現・東京女子大学名誉教授)らが、興味深い実験を行っています1)。天井にビデオカメラを設置した部屋に被験者に入ってもらい、煙を流入させて、その反応をマジックミラー越しに観察するという実験です。その結果、煙の流入速度がやや遅めの場合は、部屋に1人でいても3人でいても、煙に異常を感じて退室するまでの反応時間に違いはみられませんでしたが、煙の流入速度が倍速の場合は、1人よりも3人でいたほうが反応時間は遅れました。また、倍速条件で、1人の被験者の両側に「煙が充満しても最後まで平然としている」というサクラを配した場合、被験者は最後まで退室しませんでした。倍速条件では、煙の流入から退室ま での滞在時間は最大でも3分10秒でしたが、サクラ条件の被験者は、入室2分後の煙の侵入から、10分後の打ち切り時間までの間、煙で充満した部屋に平然と居続けたのです。

これは、周囲の多くの人が「正常なこと」と認知して平然としているときは正常性バイアスが働きやすく、自分一人が異常事態だと主張するのは困難であることを示唆しています。

人は大勢に流されやすい、ということなのですが、命の危険が差し迫っていても、異常だと認知できないところに、正常性バイアスの怖さがあります。新型コロナウイルスはどうやら終息したらしい、という空気が強まったとき、それが根拠のあることなのか、正常性バイアスが働いているのか、慎重に見極める必要があるでしょう。

1)広瀬弘忠, 杉森伸吉: 東京女子大学心理学紀要 2005; 創刊号: 81-86