【監修】野村 総一郎氏 一般社団法人日本うつ病センター 理事 六番町メンタルクリニック 名誉院長
うつ病の多彩な症状
身体の変化や周囲からみた変化も
うつ病の症状の中心は抑うつ気分で、精神的なエネルギーが極端に低下し、ひどく憂うつな気持ちが続き日常生活に支障をきたしている状態です。憂うつ感とともに、何に対しても興味が持てない、喜びを感じないという興味や喜びの喪失、意欲の低下、焦燥感や罪悪感などの精神症状がみられます。さらに、多くの患者さんで精神症状に加えて睡眠障害や食欲低下、倦怠感、易疲労感など様々な身体症状や、周囲からみてわかる変化が出現します(表1)。
このような多彩な症状を呈するうつ病の診断には、世界的にアメリカ精神医学会の「精神疾患の診断・統計マニュアル第5 版(DSM-5)」の診断基準が用いられるようになってきています。まず、「抑うつと気分」または「意欲・興味の低下」の2項目のいずれかひとつ以上に当てはまり、「食欲低下(または増進)」、「不眠(または傾眠)」、「焦燥感あるいは制止(行動の低下)」、「倦怠感」、「自責感」、「集中力低下・決断困難」、「自殺念慮」の7項目のうちの3~4つが当てはまる場合、うつ病の可能性が疑われます(図1)。抑うつを呈する類似疾患として双極性障害がありますが、うつ病は抑うつエピソードだけを呈するのに対し、双極性障害は抑うつエピソードだけでなく、反対に元気があり過ぎる躁エピソードの両方を呈する疾患です。
うつ病の様々なタイプ
一口にうつ病といってもいろいろなサブタイプがあります(表2)。どのタイプのうつ病なのかを判定することもその後の治療において重要となります。
憂うつや不安とうつ病の違い
憂うつや不安はうつ病でなくても誰もが持つ感情ですが、必ずしもひどいストレスには出会っていないのにひどく憂うつになるのがうつ病です。極端なストレスを受けた後に憂うつになっている場合、それがうつ病かどうかはそのストレスの影響が完全に去るまで診断しにくい面があります。
また、うつ病患者では、そこまで考えなくてもいいのではないか、というレベルで考え方の歪みがみられます。例えば、一社員であるにもかかわらず、「会社の経営状態が悪いのは全部自分のせい」、「自分が休んだら大変なことになる、会社は立ちゆかなくなる」というような極端な考え方に支配されているのです。
さらに抑うつ状態が長期間続くというのもうつ病の特徴です。単に気分としての憂うつは、せいぜい数日で気分や考えが少しは回復しますが、うつ病の場合、二週間以上極端に憂うつの期間が続くと考えられています。
うつ病患者に特有な思考パターン
憂うつ感とともに「何とかしなければ」という焦燥感が生じますが、エネルギーが著しく欠如した状態ですので、何とかしようと思っても、実際には何もできない、がんばれないということになり、さらに焦燥感がつのり、イライラした気持ちや怒りが生じることもあります。「仕事をするのがつらい」→「休みたい」→「休むと仕事がたまるし、周りに迷惑をかける」→「がんばるしかない」→「がんばれない」→「どうしたらいいのかわからない」→「さらにつらくなる」→「仕事に行くのがつらい」…というふうに、思考がぐるぐると堂々めぐりし、そこから抜け出せないのがうつ病特有の思考パターンです。「これまでがんばり過ぎていたのではないか?」、「少し休もう」というような発想の転換ができなくなっているのです。
うつ病治療はチームで
自殺を防ぐことが重要
この思考の堂々めぐりから抜け出せず、ついには「この苦しい状況から逃げるには死ぬしかない」と極端な発想になってしまうのです。うつ病になった人の多くが一度は「死にたい」と考えます。うつ病のごく軽症であっても、どこかに「死んだら楽だろうな」という気持ちが存在しており、自殺願望はうつ病の本質的な部分といっても過言ではありません。自殺の予防は、うつ病治療の重要な要素です。
日本うつ病学会による治療ガイドラインでは、うつ病の治療目標は、「症状が軽快することに加えて、家庭・学校・職場における『病前の適応状態』へ戻ること」とされています。「うつ病とはどのような病気か。どのような治療が必要か」を患者さんに理解してもらい、患者さんが治療に取り組む意思を高める「心理教育」がまずは治療の基本となります。その上で薬物療法、精神療法、生活療法の3 つの軸で寛解へと導いていきます。これには医師だけでなく、臨床心理士や産業カウンセラー、作業療法士、そして薬剤師も関わりチームで治療を進めていく必要があります。
従来考えられてきた発症機序
モノアミン仮説
うつ病発症のメカニズムは未だ明らかになっておらず、いくつかの仮説が提唱されています。従来考えられてきたのは、脳内の神経伝達物質であるモノアミン(セロトニン、ノルアドレナリン、ドパミンなど)の作用が低下していることによりうつ病が発症するという、モノアミン仮説です。モノアミン仮説は、モノアミン枯渇作用のある降圧薬レセルピンの使用により、うつ病が高頻度に発症したことや、うつ病に特異的な効果を示す抗うつ薬でシナプス間隙のモノアミン濃度が上昇することなどの研究結果から導き出されました。
セロトニン、ノルアドレナリン、ドパミンの低下が感情や身体へもたらす影響は、それぞれ異なる点と、共通する点があると考えられています(図2)。
うつ病発症に関する別の仮説
しかし、最近は、モノアミン仮説の矛盾も指摘されています。うつ病の治療薬である選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)やセロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)は、その名のとおり、セロトニンやノルアドレナリンの再取り込みを阻害しますが、再取り込み阻害作用によるモノアミン濃度の上昇は、投与後比較的短時間でみられます。一方で、SSRIやSNRIの抗うつ効果が現れるには、数週間かかるといわれています。このタイムラグを考えると、モノアミン仮説だけでは説明がつかないのです。
近年では、うつ病の発症に脳由来神経栄養因子(BDNF)が関与しているという仮説や、ミクログリアという細胞から炎症性サイトカインが産生されることが関連しているという仮説などについても研究が進められています。
薬剤選択の基本はSSRI、SNRI、NaSSAのいずれか
2019年に新薬も発売
うつ病に対する治療薬には、SSRI、SNRI、ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬(NaSSA)、三環系抗うつ薬、四環系抗うつ薬があります。 三環系抗うつ薬など従来の抗うつ薬は、ノルアド レナリンやセロトニン、ドパミンのトランスポーターに結合し再取り込みを阻害することで、モノアミンの細胞外レベルを増加させます。しかし、抗コリン作用、抗アドレナリン作用、抗ヒスタミン作用を強く併せ持っているため、臨床的には口渇、便秘、立ちくらみ、眠気などの副作用を呈するという欠点を持っていました。それらの副作用を軽減させたのが、モノアミントランスポーターのみを選択的に阻害するSSRI、SNRI です(表3)。
NaSSAは、セロトニン再取り込みを阻害するだけでなく、前シナプスのα2自己受容体の遮断作用によりアドレナリンおよびセロトニンの遊離を増大させ、さらに、セロトニン5-HT2および5-HT3受容体を阻害することで、抗うつ作用に深く関連する5-HT1受容体を選択的に活性化させる薬剤です。ノルアドレナリンおよびセロトニンの神経伝達を増強すると考えられています。
現在はこれらの新規抗うつ薬(SSRI、SNRI、NaSSA)のいずれか1剤を低用量から投与開始し、速やかに十分量まで漸増し十分な期間投与することが薬物療法の基本となっています。
なお、2019年にはボルチオキセチン臭化水素酸塩(トリンテリックス®)が発売されました。この薬もセロトニン再取り込み阻害作用を有していますが、セロトニン受容体5-HT3 、5-HT7、および5-HT1D の阻害作用、5-HT1Bの部分活性化作用、5-HT1Aの活性化作用と、セロトニンの各種受容体の調節を行うことにより、セロトニンだけでなく、ノルアドレナリン、ドパミン、アセチルコリン、ヒスタミンの遊離を調節するとされています。
「何となくいやだ」などの患者の初期反応も重視
第一選択薬の効果が不十分な場合や副作用が出現した場合には薬剤の切り替えを行います。薬物療法で注意すべきはもちろん副作用の出現ですが、必ずしもはっきりとした副作用が出ていなくても、投与初期に患者さんから「飲むと何となく不快感がある」、「何となくいやだ」、「好きではない」といったネガティブな感想が出ることがあります。通常、抗うつ薬は2~4週間程度投与を継続しないと効果がはっきりとしないのですが、こうしたネガティブな早期反応がある場合には、その薬が患者さんに合っていない可能性がありますので、患者さんに合う薬を探していきます。
また、不安感や不眠がある場合、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬や睡眠薬が用いられることもあります。抗うつ薬に抗不安薬や睡眠薬を併用することで、治療初期の脱落率を低下させる可能性が示されています。しかし、ベンゾジアゼピン受容体作動薬の常用量依存は大きな問題ですので、必要最低限で短期間の投与にする必要があります。
薬物療法を継続していく中で、一定の効果はみられるものの十分ではないという場合には、気分安定薬(適応外)や抗精神病薬(アリピプラゾールのみ保険適用)、甲状腺ホルモン製剤(適応外)を併用する強化療法を行うこともあります。
急性期の休養の後は行動活性化を
多くの疾患の治療において生活指導は非常に重要ですが、うつ病治療ではその重要度はさらに増し、生活の調整だけでかなり症状が改善することがあります。特に軽症例では、安静、休養、うつ病に対する正しい知識を得る、自分が楽しめるレジャーや気の合う人との対話などにより症状が改善することも多くみられます。
休養
特に急性期には可能な限り休養する必要があります。しかし、うつ病患者独特の思考に陥っている中で、休みをとるということは決して容易ではありません。「当面の間休養することに力を注いでください」などと、普段からがんばり屋で真面目な傾向のあるうつ病患者さんには、「今はがんばって休養する」ことを提案するなど工夫が必要です。
運動・行動活性化
うつ病になりたての急性期には休息の確保が非常に重要ですが、急性期を脱した後は漫然と休養を続けるのではなく、行動を活性化していくことが重要です。特に早朝から活動すること、午前中の日光にあたることが非常に重要です。日光を浴びる、ウォーキングや軽いジョギング、意識的な呼吸といったリズミカルな運動は、セロトニン分泌が増加するとされています。また、日光を浴びることでメラトニンが産生され、それにより夜間の睡眠がもたらされます。
日常生活記録表などを用いて、生活の中でどのような活動をしたか、それにより気分がどのように変化したかを記録してもらうことも非常に有効です。記録することで、生活の中でどのような活動を増やしていけばよいのか、どの部分をどのように変えれば生活が活性化に向かうのかを、治療者とともに検討することができます。
食生活
多くのうつ病患者では食欲が落ちたり、逆に過食になったりという食欲の異常が出現します。そのような状態のままでは栄養障害やメタボリックシンドロームなど、身体的な疾患に発展する可能性も高くなります。併存疾患があるとうつ病症状が悪化しやすいといわれていますので、栄養指導も重要となります。
精神療法で物事の認知の仕方を変容
精神科の治療は薬を飲ませて終わりということでは不十分で、心理的な治療も合わせて行います。基本となるのは支持的精神療法です。精神科医は、対話の中で、患者さんが抱えているつらさや苦しさなどを聞き出し、それを受け止めて問題点を整理します。そして、その時点での考え方や病名、見通し、治療法とその副作用などを説明するという、一連の対話を中心としたやりとりを実施します。
精神科に限らずどこの診療科でも診療時にそのようなやりとりが行われていますが、精神科の場合は「心の病」が対象であるだけに、「共に考える」、「その人の持っている力を再発掘する」という観点で、時間をかけていろいろな角度から問題を明確化していきます。
また、精神療法には体系化された様々な方法があり、現在主に行われている精神療法のひとつが認知行動療法です。認知行動療法では、「人間の感情は出来事によって生じるのではなく、その出来事をどう考えるかによって決まる」、「感情の問題が生じた時には、考え方を変えるようにすればよい」ということを基本としており、日々体験する出来事をどう把握し、どう行動したらよいのかを具体的に考え、それを実践していくことにより考え方の変容を促していきます。
老子哲学に基づいた日本人に合った精神療法
精神療法は、文化的・社会的背景、歴史、風土が異なる他国で開発された方法で、必ずしも日本人にも合うとは限りません。近年の日本は欧米の合理主義が世の中の主流になりつつありますが、それでも根底には江戸時代以来の道徳(額に汗して働く、親孝行、世のため人のため、清く正しく美しくなど)があることは間違いありません。
そこで私がお薦めするのが、体系化された精神療法ではありませんが、老子の教えに基づいた考え方の変容です。老子は紀元前8 世紀頃の中国の思想家です。ほぼ同時期に活躍したとされるのが孔子であり、その教えが儒教です。老子と孔子はいわば正反対の考え方で、孔子が礼儀を重んじ自らを厳しく戒める教えを説いたのに対し、老子の教えは「まあまあ、それでいいじゃないか」という弱さを承認する思想なのです。そのため「上り坂の儒家(孔子)、下り坂の老荘(老子)」といわれています。精神的なエネルギーが枯渇したうつ病患者には、この老子の教えが助けになるのではと考えています。
患者の思い込みを是正し薬物療法の有効性を高める
前述のとおり、うつ病治療は多職種のチームで行っていきますので、薬剤師の関わりも重要となります。まず求められるのは薬剤の正確な説明です。治療を受ける段階で、患者さんはインターネットで様々な情報を得ていますが、間違った情報を正しいと思い込んでいる患者さんも多いのが実情です。そこを正して薬物療法の効果を最大限引き出すことが重要です。また、うつ病治療ではアドヒアランスが低下しやすく、薬剤の服用量などを自己調節する患者さんが少なくありません。しかし処方された量をきちんと飲んでいないと効果が得られず抑うつ状態の遷延化につながりやすくなりますし、副作用のみ出現することにもなりかねませんので、残薬がないかどうかも含めて服薬状況を確認することも重要です。
また、回復期には完全に治っていない時点で抗うつ薬を中断すると、一時的に不安感が強まることがあるばかりでなく、その後再燃しやすいといわれています。症状がよくなったからといって自己判断で服用を中断しないこと、抗うつ薬を中止するには時間をかけてゆっくりと漸減していく必要があることなどの指導も重要です。
さらに、常用量依存の問題が注意喚起されているベンゾジアゼピン系の薬剤は、精神科以外の診療科でも処方されることが多い薬剤ですので、他科を含めて横断的に重複投与がないかを確認することも非常に大切です。
現在の社会状況とうつ病
精神科医としては基本ですが、薬剤師さんも、うつ病の患者さんが話しやすく相談しやすい雰囲気を作ってあげましょう。よくいわれる「受容的・共感的対応」のほか、「あなたの困っていることに積極的に関与したいという姿勢を示すこと」、「非言語的な温かい雰囲気」、「医学的に解決できる部分が大きいという言葉での保証」などが重要です。こうした姿勢によって、うつ病の患者さんは、自分のことを一人の人間として気にかけ尊重してくれていることを非言語的に理解します。そして、うつ病の患者さんが抱きがちな歪んだ自責感が修正される可能性もあるのです。
成果主義の現代社会では様々なストレスが増加している上に、昨今のコロナ禍で社会のストレスは増加しています。それによりうつ病患者が増加することも予想される中で、どのようにうつ病患者をサポートしていくか、最終的に症状の行き着く先の最悪の事態、自殺をいかに回避していくかは現在の喫緊課題です。
column 老子に学ぶジャッジフリーな思考
野村氏の著書「人生に、上下も勝ち負けもありません」(株式会社文響社)では、老子の教えを取り上げ、現代に当てはめた解釈を紹介している。一言でいうなら、ジャッジしないという思考「ジャッジフリー」。うつ病を はじめとした精神疾患の患者さんでみられがちな、歪んだ考え方や思い込みを外すためのヒントとなるだろう。
本書の考え方は、うつ病患者の回復の一助となり得るだけでなく、現代に生きるあらゆる人に立ち止まる機会を与えてくれるかもしれない。利益、数字、生産性、ロジック、コスパ、根拠、比較。こうした現代の価値観は、 私たちが心の底から正しいと思えるものなのか。ユーモアあふれるイラストとキャッチコピーが光る本書を読んで、考えてみたい。